ウェワク
Wewak
ミッションヒル頂上からウェワク市街、ムッシュ島、カイリル島(二つの島が重なって見える)を望む。ムッシュ島は戦後降伏した日本軍将兵が収容された地。
昭和17年8、9月の陸路ポートモレスビー進攻作戦が失敗に帰して以降、東部ニューギニアの日本軍は防戦一方となり米豪軍の攻撃により西へ西へと追い詰められてゆく。この過程でサラワケット山系、フィニステル山系と二つの山岳地帯を越える退却を強いられ、大半の兵員が密林に消えることになるが、その退却行の行き詰まりの地がこのウェワクであった。西へと退却を続ける日本軍の行く手を阻み昭和19年4月アイタペ、ホーランジアに米豪軍が上陸し、行く先を失った日本軍はこのウェワク南方の「山南地区」と呼ばれる一帯とセピック川流域に最後の拠点を設けた。アイタペ攻撃作戦で甚大な被害を受け完全に追い詰められた形の日本軍は最後の玉砕攻撃を準備中に終戦を迎え、ウェワクのウォーム岬にて第18軍司令官安達二十三(はたぞう)中将が連合軍に降伏する。降伏文書の調印された場所は現在オーストラリア兵とパプア人の慰霊公園となっている。
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ミッションヒル(洋展台)
この辺り一帯の土地をカトリックの教会が所有するため、ミッションヒルと呼ばれているが、戦時中は日本軍第18師団司令部が置かれたこともある要衝であった。ウェワク市街を眼下に見下ろす丘の頂には戦没日本軍将兵を慰霊する「英霊碑」が建ち、鉄帽などの遺品が置かれている。
丘の中腹には陸軍の八八式高射砲が5門、今も虚空に砲身を向けている。今はすっかりジャングルに覆われているが、当時は射界を得るために砲の周りの樹木は切られていたはずである。どの砲も余り錆びておらず状態は良い方だが、無傷のものが一門も無く、ここが紛れも無い激戦地であったことを物語っている。
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高射砲は後座位置のまま破壊されていたり砲身に生々しい弾痕をとどめ戦闘の激しさをうかがわせる。 |
以下の訪問先の写真、現在準備中!
- ・ボイキン
- ・ダグア飛行場跡
- ・ブーツ飛行場跡