
ソロモン諸島の人々
ソロモン諸島やニューギニアの人々を語る際によく使われる言葉がある。曰く、「首狩族の末裔」、あるいは「現代に生きる石器時代人」など。興味本位な、またあからさまに見下した姿勢も散見される。『メラネシアの諸民族がわれわれと同じ時代、同じ世界に生きているという認識が十分でなく、彼らの<未開性>を強調したり、猟奇的好奇心を刺激するような書物も依然として少なくない』と批判される(平凡社「オセアニアを知る事典」より)所以であろう。
だが、少し考えてみれば日本人も百三十数年前の戊辰戦争までは合戦のたびに敵の首級を挙げては首実検していたのだから、われわれも立派な「首狩族の末裔」なのである。キリスト教伝道と同時にメラネシアのほとんどの地域では首狩をやめているので、むしろ日本人の方が最近まで首狩をしていたのではないか。常に「猟奇的好奇心」の対象にされる筆頭のカニバリズムにせよ、われわれの住む現代社会がそういう必要が無いというだけのことであり、状況が迫れば天明の飢饉の際の例や小説「ひかりごけ」のもとになった事件、あるいはアンデス山中飛行機墜落事故のように日本人だろうが他の人種であろうが何時でも「食人族」になりうるのである。私が出会ったソロモン人たちも、もちろん他の国の人々と少しもかわらないごく普通の現代人たちであった。
もし、メラネシア社会に特異な点を強いて探すのであれば、ワントーク(Wantok)制が挙げられるであろう。これは、ワン・トーク(One Talk)、すなわち言葉を同じくする集団という意味で、同族、同郷の集団のつながりを示すもの。ワントーク内は慣習的に相互扶助の義務を負うため、経済的な弱者には援助の手が差し伸べられるが、一方で出世した者は一族郎党どころか同じ村のもの全員にたかられることもあり得る。また、村の誰かがよそ者に傷つけられ、あるいは侮辱されれば村の構成員は相手の村の誰かれなく復讐しなければならず、対を挙げての抗争にも発展する危険もある。ただし、近年のガダルカナル島民対マライタ島民の争いはガ島全体、マライタ全体とワントークの範囲をはるかに超える規模で起きているから、ワントーク制の弊害とはいえないのではないだろうか。しかしながら、このような同属意識は多かれ少なかれどの社会にも見られることであって、先進諸国(どうもおこがましい言葉だが)の核家族化した社会の姿の方が例外なのかも知れない。昔の日本の社会にも確かにこのような一面があったはずである。
ソロモン諸島には、ポリネシア人やギルバート諸島からの移住者がいくらか住んでいるものの、もともとの住人はメラネシア人種である。メラネシア、すなわち「黒い島々」と言われる地域ではあるが、その肌の黒さは一様ではなく、場所によってかなりの差異が見られる。ブーゲンビル島や周辺の島々の人たちは確かに黒檀のような肌を持っているが、その他の島々では黒と言うより褐色の場合が多い。また、興味深いことに子供の頃は金髪のように色が薄く、成長するに従って髪の色の濃くなる人々がある。