サイパン島
Saipan
サイパン国際空港(元アスリート飛行場)周辺
サイパン国際空港、正式名称は"Francisco C. Ada International Airport"だが、戦前日本が建設した元アスリート飛行場である。中部太平洋の要衝だっただけのことがあり、飛行場付属施設が今も数多く残っている。サイパン北部の戦跡と異なり余り紹介されることのない施設である。
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上の写真の「歴史保存事務所」脇に置かれる37mm砲は、かつてガラパンの「サイパン博物館」に展示されていた。九五式軽戦車のものを鉄パイプを溶接した砲架に載せたもののようだ。戦闘中に急造したもの、との解説を読んだことがあるが、疑問である。砲が上下逆に取り付けられていることからも、ものの役に立つようには思えない。
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近くまで寄って撮影できなかったが、これらも間違いなく旧海軍の遺構である。何の施設だったのかは記録を調べてみなければ分からない。
地獄谷
サイパン島守備部隊の最高指揮官、中部太平洋方面艦隊司令長官南雲忠一中将の終焉の地、地獄谷を訪ねてみたいとずっと思っていた。サイパンにはこれまで6,7回は行っていながらも未だ見ぬその地を、今回は外せぬものとして必ず行くと決めていたのだった。
平成17年7月、家族と行ったサイパン旅行の最終日前日、ダイビング後に決行したのだが、事前収集した資料では頼りになるような地図もなく、サイパン北部サンロケ村の山側に地獄谷とかつて呼ばれた地があることしか分からない。レンタカーでサンロケ村の外れ、庭先に砲弾が置いてある民家に立ち寄って、居合わせた家族に「日本軍の司令官の自決した洞窟の場所」を尋ねると、親切にも子供を途中までの道案内につけてくれるという。洞窟に行ったことがあるかと訊くと、「ある」とのこと。その子供たち2人を車に乗せ、未舗装の道の外れまでほんの1,2分ほど。草原を300mほど歩いたらジャングルの入り口から小径があるから、それをたどって行けばわかるという。ずいぶん簡単な説明だが、信じるしかない。子供たちを家に送り届けてから、改めて背の高い草むらを掻き分けて密林へと向かった。
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ジャングルにいると足元の草がないので歩きやすい。薄暗い森の中、鳥の声がひっきりなしに聞こえる。何年か前にグアム島のジャングルには入ったが、グアムでは「ミナミオオガシラヘビ」という外来種の蛇がやたらに増えて鳥を食いつくしてしまっているので、鳥の鳴き声を聞くことが無かったのが大きな違いである。小径というのはどうも豪雨のときには川底になるようだ。ジャングルのところどころに針金を四角く編んだ「蛇籠」に石を詰めたものが置かれて、砂防ダムを作ってある。そこかしこにカサカサと音がするのは、大きなオカヤドカリだった。
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森の木は背が結構高くて様々な種類の木がある。人の手は入っているものの、原生林の面影を残しているようだ。ところどころには火炎樹が植えてあって、落ちた赤い花びらが敷き詰められる様は幻想的ですらあった。20分ほどあるいただろうか、右手に向かって登る、白い石灰石が敷き詰められたような急斜面の道があって、その先に洞窟の入り口が見えてきた。これだ、と直感して坂を登るが傾斜がきつくて歩き難いことこの上なく、滑り落ちそうになりつつも何とか到達した。
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洞窟といっても、入ってみると非常に浅く、岩の窪みと言ったほうが良さそうだ。穴の真ん中に立ちふさがるように鉄板が立ててあり、それには銃弾の跡が円弧を描いている。裏に回ると、この鉄板に卒塔婆が沢山立てかけてあって、ここが特別な場所であることを物語っている。その他に枯れた花束と日本酒、菓子の袋などがあったので、ここが昭和19年7月6日南雲中将と第43師団長斉藤義次中将が自決した場所であると判断した。もっとも、南雲中将は最後の突撃に参加したとの説もあるようで、最期の模様には謎の部分が多い。関係者のほとんどが戦死してしまっているので当然である。
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やっとの思いでたどり着いたこの地で、一人だけの慰霊祭を執り行うことにした。今回サイパン行きにはせっかく線香を持参したのだが、地獄谷に行く前にマッチを使い果たしてしまったのをうっかり補充してなかったので、仕方なく代わりに水を捧げることにした。卒塔婆の根元あたりにじゃぶじゃぶと水を掛けて黙祷する。ジャングル内は日差しがほとんど無いので歩いている間は暑さをそれほど感じないが、じっとしていると汗がだらだらと滴り落ちる。卒塔婆の置かれた壕の上にも浅い洞窟があり、そちらにも行ってみたが、こちらには何の痕跡も見当たらない。動物の糞が堆積していて生臭かったが、コウモリだったろうか。
洞窟から平地に戻り、他にも遺構があるかと小径を更にジャングルの奥に進んでみたが、そろそろ家族と夕食の時間だってきたのでホテルに戻った。ジャングルを出ると日の光が目に痛いほどに眩しいが、ほっとしたような開放的気分にもなった。車に乗ればホテルまで5分も掛からない。すぐ近くに数多くの日本人が集う場所がありながら、この密林とは何という距離感であろう。
舗装道に出るところで、道を教えてくれたチャモロ人家族とすれ違ったのでお礼に頭を下げると、急な坂の上に洞窟があったろうと言う。少なくともこの人たちの意図した場所には行けたと分かったが、果たして正しい場所だったのか、今ひとつ確信が持てず不安であった。
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