ラバウル










太平洋の戦跡を訪ねて 
戦場となった南の島々を巡る写真紀行のページ   

ラバウル

Rabaul

img098.jpgシンプソン湾を真ん中に、花吹山、ラバウル市街を望む

 南方の戦地の地名として、日本で一番良く知られているのがこのラバウルと言っておそらく差し支えないであろう。もちろん、グアムやサイパン、マニラなどより知名度の高い地は幾らでもあるのだが、これらが大抵の日本人にとって「戦地」として認識されているかと言えば、そうではあるまい。私がラバウルの名を知ったのも、小学校2年か3年生にして読んだ子供向けの戦記本で、「ゼロ戦」の活躍した地名としてであった。もっとも、その地がパプアニューギニアのビスマルク諸島、ニューブリテン島に位置すると知ったのはそれよりはるか後年のことであったが。地図上の位置を知ったときも、自分の足でこの地に立つことは想像もしなかった。

 有名なこの地に初めて立ったのは、昭和63(1988)年10月私がソロモン諸島への遺骨集集団派遣に参加した際のこと。ソロモンでの集骨活動を終えた後、半日だけ立ち寄って南太平洋戦没者慰霊碑の前で追悼式を行い、短い観光でラバウル周辺を見る機会を得た。ラバウルに一泊する予定が飛行機の故障でブーゲンビルのキエタに一泊予定外の宿泊をしたため滞在時間が大幅に短くなり、訪ねたのは通称「山本バンカー」と呼ばれる南東方面艦隊前進指揮所跡と、隣町ココポとの間にある大発艇の格納された洞窟のみであった。

 その6年後の平成6(1994)年、タブルブル火山(日本名花吹山)と、この山とシンプソン湾をはさんで向き合うバルカン火山(西吹山)が同時に大噴火を起こしてラバウルの町は火山灰に埋没、そのほとんどが完全な廃墟と化してしまった。平成17年暮れ、17年ぶりに再訪する機会を得て、前回見られなかった戦跡や変わり果てた町の姿を目にすることができた。

 なお、ラバウルは戦中の資料では「ラボール」とも表記されているが、現地の人の発音では、「バ」にアクセントをおいた「ラバウル」である。

img158.jpg電柱が虚しく立ち並ぶ、かつての目抜き通り。なお営業を続けるホテルもあるが、ほとんどがゴーストタウンである。img159.jpg入り口の広い石段のみが残された映画館跡。かつては賑わったであろうだけに一層の侘しさを感じさせる。

南太平洋戦没者慰霊碑

 ラバウル市街を見下ろす小高い山、日本軍占領下「官邸山」と呼ばれたその中腹に独立間もない(1975年に独立)パプアニューギニア両国政府が共同で建立した「南太平洋戦没者の碑」がある。ラバウルのみならず、20万といわれる南東方面の全戦没者に捧げられた慰霊碑である。

img160.jpg昭和55年日本、PNG両国政府が共同で建立した「南太平洋戦没者の碑」。平成17年12月撮影。img161.jpg天井のラバウルの位置には孔が開けられて日光が差し込むようになっている。赤い点線は言うまでも無く赤道である。
img162.jpg昭和63年戦没者追悼式で追悼文を読む青年チーム代表。img163.jpg追悼式を見守る住民たち。この頃は碑の周りも緑が濃い。

山本バンカー(南東方面艦隊前進指揮所)

 ポートモレスビーはPNG最大、人口30万を擁する大都会であり、高層ビルの立ち並ぶ町並みは首都の名に恥じない。また、珊瑚海に面し、いくつもの半島と小高い丘に、周囲には小島を配して、と舞台装置に恵まれた大変美しい町でもある。多様な部族社会の集合体であるPNGの縮図として全国各地からあらゆる部族の人々が集まるモザイク社会であるが、そのために残念なことに近年「ラスカル」と呼ばれる強盗団がはびこって極端に治安が悪化し、旅行で行くような場所でなくなってしまった。

img164.jpg南東方面艦隊指揮所跡。噴火前の昭和63年撮影。img165.jpg「山本バンカー」脇の九七式軽装甲車。噴火後はココポ博物館に移された模様。
img166.jpg17年後に見た「山本バンカー」では壕の上に生えていた木が無くなっていた。img167.jpg壕内の通信室壁に描かれたラバウル周辺の地図。

東飛行場跡

img168.jpgラバウル空港滑走路より、後方中央に花吹山を望む。昭和63年10月撮影。img169.jpgかつてのラバウル空港ターミナル。今は火山灰に埋もれて跡形も無い。

 ラバウルの東飛行場は戦後もラバウル空港として使われていたが、平成6年(1994年)の火山噴火により完全に使用不能となり放棄される。現在は日本政府の資金協力26億円を投じてトクアに建設された新空港がラバウルの空の玄関である。

img170.jpg17年後、上の写真とほぼ同じ場所にて。降り積もった堆積物の上に防砂林の植林が進み次第に緑を回復しつつある。img171.jpgラバウル市街から空港跡へ向かう途中の光景。道路わきにうず高くつみ上がる火山灰の量に圧倒される。

 飛行場跡地の片隅には、九七式重爆が一機主翼より後方の胴体を吹き飛ばされた姿をさらしている。この付近一帯は分厚い火山噴出物に覆われているが、この重爆は観光の目玉として掘り出され、今も見ることができる。陸軍の機体であるが、海軍の一式陸攻と誤り伝えられてガイドの多くはこれを「ベティ・ボマー」と呼ぶ。

img172.jpg主翼より前方だけの九七重爆。img173.jpg重爆の風防には今もフレームが残る。

大発洞窟(Barge Tunnel)

ラバウルとココポの中間あたりに、大発洞窟と呼ばれるトンネルがあり、5隻の「大発」(陸軍の小型上陸用舟艇、「大型発動機艇」の略)が格納されている。5隻のうち、入り口から2隻目の舟艇はほとんど崩壊した状態であるが、その他4隻は艇体のところどころがボロボロに錆びて穴が開いてはいるものの原型を留めている。

img174.jpg大発の艇体は薄い鉄板で出来ていて、ところどころが腐食してボロボロである。img175.jpg2隻目の大発の先端と、3席目の後部。これも錆がひどい。
img176.jpgimg177.jpg

以下の訪問先の写真、準備中。

  • ・小牧丸桟橋
  • ・駆逐艦「涼波」マスト
  • ・ココポ
  • ・マルマルアン
  • ・ブナカナウ飛行場