ブーゲンビル訪問記

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更新日 2010-03-17 | 作成日 2008-12-09

「ブーゲンビル島訪問記」

松村譲裕

はじめてのブーゲンビル島

7月11日から18日にかけて、ブーゲンビル島に慰霊巡拝に行ってきました。第4回聴講会で講師をされた安田藤一郎氏が会長を務められている全国ソロモン会主催の旅で、参加者は総勢14名。このうち安田会長や菊本事務局長を始め、ブーゲンビル島から生還された元日本兵の方が3名。ご遺族や家族の方が7名。慰霊の歌を歌っているシンガーソングライターのYAMATOさんに元教師の方、この道のベテラン添乗員の新垣さんに私という陣容です。ブーゲンビル島は、ソロモン諸島の島でパプアニューギニアに属し、日本から約5000キロ南下した南緯5度あたりに位置します。面積は岐阜県ぐらいで人口は約3万5千人。ほとんどが今でもジャングルです。ガソリンも高く、現地の方は徒歩か乗り合いトラック(荷台)が多いようです。道路は一部を除き、でこぼこ道。ほとんどの川には橋がなく、四輪駆動車もバシャバシャ川の中を突き進みます。十年ぐらい前から独立を目指す反政府軍が活動していて観光客も皆無です。現地の方々は、裸足かビーチサンダルでTシャツに短パン(スカート)が定番。ブーゲンビル01.jpgブカでの慰霊団とブーゲンビル大統領を囲んでの夕食会でそれでもこの十年ぐらいで、このジャングルの島も近代化が進んでいるようです。約80の部族があり、言葉も部族によって違い、ピジン語という英語を簡単にした共通語が使われていますが、今でも文明の流入や人の交流を拒み、先祖伝来の行き方を選ぶ部族もいると聞きました。自給自足社会を守り、必要なものだけを確保して、のんびりと生活している彼ららしい気もします。日本から訪れる際に必要なのが「日焼けとマラリア菌を持つ蚊対策」。長袖Tシャツに長ズボン、日焼け止めと虫除けの完璧武装。ホテルの部屋ではベープマットと蚊取り線香が基本でした。ブーゲンビル島へはブカのホテルから海をボートで5分(戦時中はこの海でも多くの方が命を落としている)、そこからは荷物用トラック1台と四輪駆動車2台に分乗して、目的地まで6時間。ガタガタ道とは聞いてはいましたが、本当に車中は大変な状態でした。トイレは勿論なく、道端に停まり、男性と女性が別方向のジャングルでという具合です。それでも往路は幸いなことに時折パラパラ小雨が降るくらいの天気だったので、私はトラックの荷台に移動。荷台に立ってジャングルを爆走していると、ジャングル大帝のレオになったような気分。マジで快適でした。でもアラワのホテルで、安田会長がジャングルを見ながら「ここから4キロくらいのところにいたんだよ」とおっしゃいました。食物もシャワーも虫除けもなく、敵の空爆を恐れながら自分の足で歩いていた当時を考えると、とても今自分も同じ場所に来たなどとは言えなくなりました。

頭を下げることしかできない

今回の慰霊巡拝の旅では慰霊祭を9回行いました。戦時中、病院があった跡地で、ソロモン会が作った慰霊碑の前で、今は反政府軍の活動で行くことが出来ないブインに繋がる道端で、ソロモン会の努力で今では日本兵の慰霊も行ってくれているマビリ教会で。それぞれその地に関わりのある遺族の方が慰霊文を読み上げ、最後に「ふるさと」をハーモニカに合わせて皆で歌います。朝から大雨でも、慰霊の場所に近づくと必ず晴れました。現地に来てから偶然分かったことですが、お父様の命の恩人のお孫さんと対面した方もいらっしゃいました。不思議なことはよくあるそうです。幾つかの場所では現地の方が慰霊碑の維持管理をして下さっていました。ブーゲンビル02.jpg合同慰霊祭を行った際のソハノ島の慰霊碑ソハノ島の慰霊祭では現地の子供たちにも参加してもらい、慰霊祭終了後には文具や古着をプレゼントしています。地道な努力と真摯な気持が伝わった結果なのだと思います。国に帰れる見込みもなく、生命の危機を感じながら目の前の現実と戦った先人を思うと「ありがとうございました」と頭を下げることしか出来ません。ご遺骨回収もまだ半数ぐらいです。無名の戦友一人ひとりに対する思いを語っていらした菊本事務局長の情熱も凄まじいものがあり、その気迫には圧倒されました。安田団長が「これからも一柱でも多くのご遺骨を日本に連れて帰る努力を続けるが、多くの戦友が眠るこの地で生まれ育ったブーゲンビルの人達は我々の大切な仲間であるのだから両国がより良い交流を続けて行くことが大切だ」といった主旨のお話をされていました。日本の外交でも忘れてはいけないことだと思います。今回の慰霊巡拝の旅を通して、先人の蓄えを食い潰し能天気な生活をしている私は「後世に対しての責任を果してくれ」と英霊に見つめられていたように感じました。私も後20年もしたら戦後の半分は社会人です。その頃、前を見てブーゲンビル島に渡ることが出来る生き方をしていきたいと強く感じました。最後になりましたが、旅行中お世話になった安田団長を始めとする全ての皆様に感謝の意をお伝えし、慰霊巡拝の旅の報告とさせて頂きます。

関連リンク

戦跡アルバム
LinkIcon「ブーゲンビル訪問記」

チャンネル桜【松村讓裕】ブーゲンビル島慰霊巡拝の旅[H21/7/21]
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同行したシンガーソングライターYAMATOさんのオフィシャルサイト
http://yamato.smail.co.jp/

慰霊祭が始まると同時に降る涙雨をテーマにした歌「涙雨」
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