第9回フィールドワーク 横須賀~海軍の足跡を辿って~
2013.7.7
フィールドワーク概要
■日時■ 平成25年7月7日
■参加人数■ 6名
日本の復興は海上自衛隊の創設なくして困難であった――。
梅雨も明け強い日ざしの中、一行は田浦駅に集まりました。駅では、本日ガイドをしてくださる総務課長の近江2佐が出迎えてくださり、海上自衛隊第二術科学校を見学しました。この第二術科学校は艦船の動力である機関(エンジン)の教育をする学校です。
正門に到着するなり皆、写真を撮りまくり、出だしからテンションが上がりました。
そこから学内にある歴史保存エリアを見学しました。エリアには、かつて田浦にあった海軍水雷学校跡や海軍通信教育発祥記念碑などが保存してあり、本校学生たちが記念碑等を清掃しているとのことで、綺麗に保存されていました。中でも海上自衛隊の碑はレプリカの鐘があり、本物は資料室に保管されているのですが、鳴らしてみると遠くまで響き渡る音に感動しました。
次に見学したのは学内の海軍機関参考資料室です。そこで本や映像では感じることができない日本海軍の姿を見ることができました。特に印象深い資料が山本元帥の短刀です。山本長官が強い信頼を寄せていた久保田中将が短刀を保管されていて、こちらに寄贈されたのだと説明を聞きました。現存する短刀4本のうちの一つで、とても貴重な品です。
近江2佐のお話のなかで、山本長官の肖像画を紹介していただいた時、最近の中学生は山本長官も知らないと聞き、歴史の風化はすぐ近くまで来ていると実感しました。また、機関科の将兵は戦死率が高いことも説明していただきました。機関兵は艦船を最後まで動かすことが任務であり、最後まで船に残ることが多いことから、戦死する方が多いそうです。今も昔も裏方の底力は大切なのだと思いました。
さらに、できたての海上自衛隊創設史料室も、非常に見どころがありました。終戦時の海軍大臣であった米内大将が残した次の3つの言葉は心に響きました。
1、海軍の技術を残せ。
2、文化・精神を残せ。
3、海軍の再建をせよ。
戦争を知らない世代でも大切にしなければならない言葉ではないでしょうか。他にも、海上自衛隊創設に尽力された方々のなかで野村駐米大使が裏から動いて海上自衛隊創設に活躍されたとのこと。一方で朝鮮戦争時、旧日本海軍の掃海隊が活躍し、1隻の掃海艇が犠牲となり、1人の日本人が犠牲となった事実は語り継いでいくべきものでしょう。その掃海隊を基盤にして海上自衛隊ができたのです。
今回第二術科学校を見学し、現場で活躍されている近江2佐をはじめ自衛隊の皆様の声は力強く、説得力があり、とても勉強になりました。
続いて、馬門山海軍墓地を見学してきました。京急北久里浜駅下車して10分ほど歩きました。この時は、日差しが容赦なく照りつけ、さすがに一行もバテ気味でした(笑)。しかし海軍墓地は森林に包まれ、私たちはまた再び一気にテンションが上がり、写真を撮りまくりました。以前、当会代表が産経新聞の記事でこの墓地を紹介していましたが、記念碑等は整備されているものの、個人の石碑は傾いたもの、倒れたままの石碑が整備されずにいました。
戦後、横須賀市が管理を引き継ぎ、一般の墓地も増設しましたが、海軍墓地に関しては今年6月まで手つかずになっていました。今回訪れたときには、横須賀水交会さんの尽力によって石碑のほとんどが整備されており、先人の方々もようやく落ち着いたのではないかと思います。しかし、海軍墓地に限らず、全国の戦争遺跡の風化は進んでいる現状とも向き合っていかなければなりません。
大先輩たちの想いを伝えること。まもなく来る8月15日。どうすればこの平和を維持できるのか。過去と向き合うためにも馬門山墓地や残された資料を後世に残す努力が今求められているのだと思います。
梅雨も明け強い日ざしの中、一行は田浦駅に集まりました。駅では、本日ガイドをしてくださる総務課長の近江2佐が出迎えてくださり、海上自衛隊第二術科学校を見学しました。この第二術科学校は艦船の動力である機関(エンジン)の教育をする学校です。
正門に到着するなり皆、写真を撮りまくり、出だしからテンションが上がりました。
そこから学内にある歴史保存エリアを見学しました。エリアには、かつて田浦にあった海軍水雷学校跡や海軍通信教育発祥記念碑などが保存してあり、本校学生たちが記念碑等を清掃しているとのことで、綺麗に保存されていました。中でも海上自衛隊の碑はレプリカの鐘があり、本物は資料室に保管されているのですが、鳴らしてみると遠くまで響き渡る音に感動しました。
次に見学したのは学内の海軍機関参考資料室です。そこで本や映像では感じることができない日本海軍の姿を見ることができました。特に印象深い資料が山本元帥の短刀です。山本長官が強い信頼を寄せていた久保田中将が短刀を保管されていて、こちらに寄贈されたのだと説明を聞きました。現存する短刀4本のうちの一つで、とても貴重な品です。
近江2佐のお話のなかで、山本長官の肖像画を紹介していただいた時、最近の中学生は山本長官も知らないと聞き、歴史の風化はすぐ近くまで来ていると実感しました。また、機関科の将兵は戦死率が高いことも説明していただきました。機関兵は艦船を最後まで動かすことが任務であり、最後まで船に残ることが多いことから、戦死する方が多いそうです。今も昔も裏方の底力は大切なのだと思いました。
さらに、できたての海上自衛隊創設史料室も、非常に見どころがありました。終戦時の海軍大臣であった米内大将が残した次の3つの言葉は心に響きました。
1、海軍の技術を残せ。
2、文化・精神を残せ。
3、海軍の再建をせよ。
戦争を知らない世代でも大切にしなければならない言葉ではないでしょうか。他にも、海上自衛隊創設に尽力された方々のなかで野村駐米大使が裏から動いて海上自衛隊創設に活躍されたとのこと。一方で朝鮮戦争時、旧日本海軍の掃海隊が活躍し、1隻の掃海艇が犠牲となり、1人の日本人が犠牲となった事実は語り継いでいくべきものでしょう。その掃海隊を基盤にして海上自衛隊ができたのです。
今回第二術科学校を見学し、現場で活躍されている近江2佐をはじめ自衛隊の皆様の声は力強く、説得力があり、とても勉強になりました。
続いて、馬門山海軍墓地を見学してきました。京急北久里浜駅下車して10分ほど歩きました。この時は、日差しが容赦なく照りつけ、さすがに一行もバテ気味でした(笑)。しかし海軍墓地は森林に包まれ、私たちはまた再び一気にテンションが上がり、写真を撮りまくりました。以前、当会代表が産経新聞の記事でこの墓地を紹介していましたが、記念碑等は整備されているものの、個人の石碑は傾いたもの、倒れたままの石碑が整備されずにいました。
戦後、横須賀市が管理を引き継ぎ、一般の墓地も増設しましたが、海軍墓地に関しては今年6月まで手つかずになっていました。今回訪れたときには、横須賀水交会さんの尽力によって石碑のほとんどが整備されており、先人の方々もようやく落ち着いたのではないかと思います。しかし、海軍墓地に限らず、全国の戦争遺跡の風化は進んでいる現状とも向き合っていかなければなりません。
大先輩たちの想いを伝えること。まもなく来る8月15日。どうすればこの平和を維持できるのか。過去と向き合うためにも馬門山墓地や残された資料を後世に残す努力が今求められているのだと思います。